Health, justice, and a good life

健康と病気や治療、医療について、クリニック運営についてのブログ。

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ファミリークリニックと銘打った施設というハードウエアではなく、そこで働く医師や医療専門職の総合診療/家庭医療の訓練された機能や技術といったソフトウエアにこそ患者さんや社会にとっての価値がある

Appleの広告にあった”Think different”を思い出していた。


アップルCM「Think Different.」(声:スティーブ・ジョブズ)[日本語字幕]

世界をよりよい場所にしたいと信じる。まだできると信じる。

ジョブスつながりで、SonyAppleMicrosoftとの違いを語ったこの映像が示唆に富んでいる。


スティーブ・ジョブズが語る 'ソニー失敗の本質'と'アップルの本質' w/ Bill Gates @ 2007

表面だけ飾ったものでなく、本質で勝負する。そう思わせてくれる。 

追記:個人的にはSonyAppleも大好きです。。

男は黙ってサッポロビール的こころ

三つ子の魂百までとはよくいったもので、どさんこの40歳代男子は

「男は黙ってサッポロビール

と刷り込まれている。


男は黙ってサッポロビール CM

(まだ昭和だった)中学3年から通い始めた塾の塾長の授業で、まことしやかに語られた就職面接での伝説。飲料会社の最終役員面接で、緊張のあまりか、黙り込む男子学生。しびれを切らした人事担当役員が「もういいよ。帰りなさい」というと、学生はきりっと顔を上げ、出口まで歩き、最期に面接官達に向かって一言、「男は黙ってサッポロビール!」。そう、これはサッポロビールの最終面接。「合格〜」と思わず試験官がつぶやいた、とか。そういう話しに、「そうだよな〜」と思ってしまう北海道男子がここにひとり。

matome.naver.jp

演出はさておき、「男は黙って」信念に基づいて行動する、成果や善行、学歴や人間関係をひとに見せたりするのは恥ずかしいこと、自分の評価は自分でする、助けたひとの実数だけで評価するのだ、と思い込んでいるのは、三船敏郎さんの影響なのか。ちょっと生きにくい感じもするけれど。

小さな物語を生きる

道ですれちがうあの人にも、物語がある。それがかぎ括弧付きの大きな物語であろうと、名も無き変哲も無い日常であろうとも、恵まれていようが、困難に満ちたものであろうとも。その物語を尊重しながら、そのほんの一部である病気や症状の話しを聞く。

じっと母親をみるこどもの口元に耳を近づけて、自分の声で訴えるのを聞く。

 関係ない、庭先の木の様子の話しが、病気や老いの心配と結びつくのを待つ。

ひとつの方向に加速度を持って進む物体が、病気や心配で減速したり方向転換させられたりすることが、いかに困難か。さて、医療でなにか助けになるものかに全力で取り組む。

なにげない日常を扱っているレイモンド・カーヴァーが好きで、定期的に読んでいる。

Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)

Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)

 

 本人の文も好きだけど、村上春樹さんの翻訳もいい。困難に出会ったひとと向き合う時にいつも、A Small, Good Thingを思い出す。困難に直面したときこそ、困難への対処とともに、日常の部分を支える。そう心がけている。

http://christchurchlr.org/wordpress/wp-content/uploads/2010/08/A-Small-Good-Thing.pdf

さて、いつ死ぬのか

ああ、今日も生きていた。

そうぼんやり考えながら目が覚める。時々、涙がでている。

日常的に死に関わる医療職の方なら、ときどきこういう朝がある。

生きている、しかも平気で生きていることは40歳を越えると結構難しい。

「悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」正岡子規『病牀六尺』

僕の場合は、こういう時に何人かの既に会うことのできない友人や患者さんを思い出す。

そして自分の番はいつなのか、と考えながら、重たい身体を起こすのだ。

ノーベル物理学賞の報道があってから、戸塚洋二先生の本を読み返している。

 研究者なら、自分の研究に没頭して、先端で成果をあげる先生の生き方に強く共感するところがあるだろう。”We will rebuild the detector. There is no question.”で始まる、スーパーカミオカンデの事故のストーリーは、何度読んでも胸が熱くなる。身体に変調や疾病があっても、それはそれで人生を形作るひとつの要素でしかない。いつ命がなくなるとも知れないのなら、自分はどの程度の濃度や速さで生きていくのか。生き急ぐこと、それ自体が命を縮めることはないのか…と迷わずに、花が咲くように、赤子が泣くように、一途に生きよと伝わってくる。

 

別れの季節

年度末は異動や引っ越しで別れの挨拶がおおく、海外移動組は4月に入ってもその時期がつづいている。クリニックでも、単身赴任されている方がご家族の元に戻るときなどは、大きく生活環境が変わることから、今後の対策などを話し込んでしまい、結構外来時間が長くなってしまうこともある。ほっとしているような、自由な時間が少なくなる窮屈さを感じているような、複雑な表情でいるお父さん達と話すのは、人生の先輩方の生き方を伺うようで結構好きだ。

昨日の外来では、いつも家族でクリニックを利用してくれてる男の子が、家族と海外赴任するとハリキっていた。どこまでわかってるのかなーと思いながら、「きっとたのしいぞー」と声をかける。健診を担当している保育園にも通っていた子だから、その慎重な性格と、妹が生まれてからの成長も頼もしくみていたので、とても寂しい。保育園での英語の歌も大きな声で歌えていたから、きっと大丈夫。そうココロでいいながら、診察室を出ても、手を振り合う。予防接種も定期のものはすんでいるし、皮膚のケアさえすれば、健康もお墨付きだ。さあ、海外での生活は、泣きたくなることもあるかもしれないが、ぐっと踏ん張って。帰ってくるという数年後にまた会えるのがとても楽しみだ。

コミュニティの年輪論

覚え書き。

この年輪論のようなものを在宅訪問診療でずっと考えていた。

在宅訪問診療では、医師の位置はかなり外で、患者さんと家族が中心にあり、訪問看護師と介護士、ケアマネほかがその外を包む。特に自分のように、「つながり」が苦手な家庭医は、力のある方々のサポートにまわる。

machihoiku.jp

家庭医療や総合診療の戦略

まとめず、つれづれに。

以前、非常に優秀な戦略コンサルタントの方に

「家庭医療っていうのは、戦略的に負けるコンテンツなのだ」という主旨のお話しを伺ったことがある。「総合的」や「包括的」の部分が広報やプロジェクト組成しにくかったり、経営的に利益を出しにくいかつ政策依存的(診療報酬の動向に左右されやすい…)な収益構造だったり、日頃悩んでいるところをさらっと指摘されてしまったと直感的に感じたのを覚えている。もんじゃ焼きをつつきながらの話しだったので、その後銀座のおねえさんや新宿の飲み屋の話しにながれてしまい、詳細を聞きそびれたのだが、ずっとそのことが頭にひっかかっている。

家庭医側からすると、診断と治療を基本としながら、予防もやるし地域包括も関わる(主役は地域ではたらくの保健福祉の専門家達だけども)、必要な検査や病院紹介もアレンジして、もどってこられたらまた継続的に関わる。ケアもキュアもどっちもつかって、関わる方の健康や生活の支援に妥協しない、年齢や性別、疾病で分けず、どういった健康問題に関しても自分のできる範囲で対応する、外来で間口を大きくとり、訪問診療というオプションも準備している、という感じだ。

医療や健康が人生の中心にあるのは本意ではない、しかし不注意や無知、構造の不備や支援のミスマッチなどで苦痛や苦難を被るのはごめん願いたい、そういう思いだ。あっ、これは思いなのだな。

最近は「予防医学専門家」や「地域・コミュニティ専門家」といった新しい”専門家”がでてきているが、そのあたりもぐっと自分の診療圏にとどまって、自分の診療を積み重ねていく家庭医とちょっと違って、面白くみている。予防の範囲からはみ出ようと、地域と関係なくても、家庭医・総合診療医はしつこくあきらめないけれど。地味すぎる。

現在診療している地域では、医療機関が非常に非常にたくさんあるので、患者さん達も自由に?使ってくださり、

「午前中に他の診療所にかかったのだけど、これどう思う?」(2児の母)

といった、時々当院にかかる方の電話相談が診療時間内にくる、ということがよくある。クリニック事務の方も非常に優秀なので、適宜情報収集して、必要ならさらっとこちらに回してくれる。英国なんかは医師による電話相談の時間を設けたりしているみたいだけれども、まあ、担当させていただいている患者さんの範囲では、診療時間中でも十分に対応できる。そういうフリースタイルな感じが、日本の家庭医療・総合診療の現状だし、いいところだと思う。一方で、例えばまだ2週間毎の受診を全ての患者さんに強いる診療所もあったりして、経営者的発想としては合理的なのかもしれないが、優先順位が違っていることもよく聞くのが負の側面か。

パッケージとして出しにくい家庭医療や総合診療の戦略だけれども、最近所属する医療法人に「家庭医療専門医」や「認定医」が複数就職されていて、ああ、家庭医療・総合診療人材の育成を粛々とすすめていた先人達の戦略が、粛々と効果をあげていることを感じている。合理的な経営戦略にはのらないけれど、気がついたら周囲が家庭医だらけな人材戦略が、時間の力もかりながら最後には成果をあげていくとみている。これを見据えて10年以上も活動している方々を非常に尊敬している。