Health, justice, and a good life

健康と病気や治療、医療について、クリニック運営についてのブログ。

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医療とケアと叙情的・叙事的

看護師であり研究職でもある友人が、鼻水鼻づまりで近くの医院にかかった時に

「医師を怒らせないで、こちらの要望をつたえるのは結構大変」

だったと言っていた。

何をいっているのか一瞬分からなかった。患者の要望を聞いた医師がなぜ怒るのか理解できなかった。

と思えば、話を聞いていた周りの人は「そうだよね〜」と理解を示している。

あれ?

感情的に仕事をする医師って間違っているし、めんどくさそう。医療は事実と技術で、提供されるもの。診察時点で達成できる最大の効果をあげる検査や治療やセルフケアの選択肢を示し、その人が受け入れられるものを、見通しとともに提供する。

「医師は感情的に仕事しない」といっても自分の胸中では感情的だし、生身の姿を人前にさらけ出す覚悟が診療には必要であること、患者の感情に応えて診療することの厳しさ、怖さを日常的に当然感じてはいる。しかし、この感情の叙情的な部分は、セリフのようにかわされるものではない。感情にまかせてとるコミュニケーションでは、語尾も曖昧だし、問いかけも不明瞭だ。ああ、でも時によってもごもごとした感情表現だったとしても診療の会話は成り立ち、患者が支えられ、安心することも経験する(とこちら側が勝手に感じている)。志ん生師匠の落語のようでもある。と考えると、医師の患者への感情表現は、患者を癒やす手段としてのみ表現されるべきであって、情動にドライブされて表現するべきではないのは明らかだ。

小学生のときから泣き虫で、ドッジボールで負けては泣き、テストで負けては泣いて、いまだにことあるごとに泣いているけど(さっきまで映画を観て泣いてました)、自分が感情的で叙情的な表現を好み使用するのと、感情的に仕事をするのは全く違うと、改めて思いますが、いかがでしょうか。