Health, justice, and a good life

地域での診療とヘルスポリシー研究、政策実践を横断中。

自分の感覚と医療との距離

自分の近しい友人が建築家で、以前から勝手に建築を身近なものとして感じている。

自分の世代は「建築」というと、ややものものしく、磯崎新さんの東京都庁のような、丹下健三さん国立代々木競技場のような、機能だけでなく、思想や芸術を含み構成されている「建築」を思い浮かべるのではないだろうか。一方で周囲にあふれる建築らしきものは、古くからあった100坪程度の土地に新しく3件の細長い3階建てが立つような、表面がきらびやかなプレハブ木造建築や、大手デベロッパーの定型ブランドマンション群のような、「建築」という言葉からはすこし距離を置いた、日常の建ものや住まいといったものだ。どこかの文章で、妹島和世さんが伊東豊雄さんの事務所に勤めていたときに、伊東さんが妹島さんのご自宅にあったアンティーク家具やレースの飾りをみて、

「あなたが建築でストラクチャーがどうだとか言っているのと、この自分の部屋のアンティークな家具やレースの飾りはどうつながるのか?」

と問われたとありましたが、建築家としてはどの建築もつながっている、らしい。(公共建築と住宅の違い、の話しともいえますが、まあその辺は置いておいて。。)

そしてはたと、医療にも

「あなたの日常と、あなたが提供する医療とはどうつながるのか」

という問いが立ち現れているのだ、と気になる。これを医療従事者に問うべきなのでは、と。健康や病気や、病いとの関わりは、医療従事者において仕事と仕事以外を分けて考える、考えたくなる気持ちはよくわかる。医療の腕さえ良ければ、仕事以外ではそのひとの嗜好にあったありようであってよいのだ、とはその通りだと思う。

そこから逆戻りしてもう一度、「あなたの日常と、あなたが提供する医療とはどうつながるのか」という問いが立ち現れているのだ。これを医療従事者に問うべきなのでは、と蒸し返したい。しつこいけれど。つながっていないと突き放すのは、現実から眼を背けているだけなのだと、ウソをついているのだと突きつけてみたい。

この問いへの態度が、もしかしたらその医療従事者の規範を測る尺度といえるかもしれない。