Health, justice, and a good life

地域での診療とヘルスポリシー研究、政策実践を横断中。

ひとつ終わって、次をはじめる:クリニック開業しました

73回目の終戦の日がすぎ、今上天皇戦没者追悼式に参列される最後の機会だと知って、ひどく驚いてしまう。戦争が経験ではなく歴史となっていくことは、避けられないながらも、元号がかわることに直面して、否が応でも時間の経過とその不可逆さを痛感する。

診療所外来で年配の方とお話しするときの定番の話題は戦争の経験だ。からだの話が一息つくと、若輩者の私に多くの年長の方は自身の経験を語ってくれる。カチャカチャと音を立てるキーボードから手を離し、ぐっとその話に聞き入る。食糧事情や学校のこと、工場での仕事や日常生活の話し、徴兵され従軍した話しの最後に、さらりと抑留の話がでたりする。軍での訓練の内容も、爆弾を抱えて走り、戦車の下に潜り込む訓練だったりする。「軍人として訓練をうけていない学徒は、戦闘の技術がなく、自爆する訓練を受けたんだよ」と言ってすこし笑い、ぽろぽろと涙を流す。天井を仰いで私も泣く。特に暑い夏のこの時期には終戦の記憶とともに、患者さんが少ないこともあり、生活や死生観を知る機会にもなり、70年以上まえの話しを積極的にする。

そういう日常の中にあった、大切な患者さんのひとりが亡くなったことは大きな喪失感となった。他のひとはこういう時間をどう感じているのだろう。ひどく焦る。呼吸が荒くなり、動悸がする。迂闊にも永遠に失われてしまったことへ準備ができてなかった後悔。話しを伺っているfamily medicineは仕事なのだけれど、自分の人生とは不可分で、いま自分が人生の中ですべきことと、これからの残り時間と、そこでなし得ることを考えて、廊下をうろうろする。

いままで経験してきて分かっている、時間がかかることを今からはじめよう。大切な人たちを大切にできる自分ができることを今しよう。様々な可能性のなかで、改めてfamily medicineでいこうと決断する。大上段に振りかぶりながらも、地に足をつけて。

ということで、自分のクリニックを始めました。はじめてロンドンに住んだときに登録した、近所の家庭医みたいなちいさなクリニックですが、診療内容は骨太の世界標準のfamily medicineを基準としています。さらりとfamily medicineできるようにするには、時間がかかりそうですが、スタッフ一同(私と家族だけですが。。)頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。